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蕎麦のこと、あれこれ

『年越しそば』   日本そば打ち名人会  林  喜 郎               

「そば」は日本の四季折々に登場する。正月そば、雛そば、彼岸そば、冬至そばなど

祝い事や季節の節目ごとに行われる儀式の時に「身を清める」行為として「そば切り=麺」を食べる習慣が各地で広まったようである。

「そば切り=麺」が文献上最初に見られるのが、長野県木曽郡大桑村にある定勝寺に伝わる文書に戦国時代・1574年に定勝寺の仏殿修理竣工祝いの時「そば切りを振舞った」という文言がある。「そば切り」は、ハレの時に登場する特別食であったようである。

今(12月)の時節では「年越しそば」である。年越しそばの習慣が始まったのはいつ頃からだろうか。江戸時代は中期・元禄時代からだと言われている。

「そば切り」もそば粉だけで打つ生蕎麦は難しく、茹でると切れやすいために蒸篭で蒸して食べていたと言われており一般大衆にはなじみではなかったようである。

江戸・中期頃から「夜鷹そば」「風鈴そば」など長く繋げるために小麦粉を混ぜた廉価の「16文」「二八そば」の登場で「そば切り=麺」が広く流行し、その後江戸市民の日常生活に欠かせないものとなり、何かにつけて「そば」が重宝がられた。

今の人が「年越しそば」を食べる意味は長生きするように願ってであるが江戸時代の人の「年越しそば」は「晦日そば」の年末版で、食べる人の職業などによってその食べる意味が違ったようである。

長屋に住む庶民は廉価の切れにくい「二八そば」を食べて「細くても長生き」を願い、店を構える商人の間では、ちょっと高価な切れやすい「生蕎麦=十割そば」を食べて今年の「辛かったこと」「悪い出来事」はこれっきりよ(年を越さない)と言う意味だったようである。 

ちなみに、「引越しそば」も江戸時代・中期頃からの習慣と言われている。


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                   長 尾 喜 司 男